武蔵ヶ丘合気道クラブは、「総合型地域スポーツクラブ NPO法人 クラブきくよう」の定期教室にて活動をしております。興味のある方は、ぜひ無料体験から参加ください。熊本県菊陽町内外在住問わずどなたでもいつでも入会可能です。

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NOTE


昔から極意の稽古指導に対して誤解があるのでここで書き加えておくと、合気道を創始した当初より開祖から伝わっている技、極意、思想などは変わっていないということです。師範指導された極意や技など教えも変わっている訳ではないと思います。自身に置き換えるしか理解する方法が無いので他人に考えを押しつけはできませんが、「伝えたい思いは常に同じであった」という事です。受け取り方は個人差がかなり大きいと感じます。指導する空間、状況によっても異なる。時代背景でも大きく違います解釈から既に多様に派生している様に思えます。師範が生前に「今は居なくてもいつか人物が出てくるだろう」と仰っておりました。ぜひ愛に満ちたこの武道を”より多くの人々”によって継承して後世に伝えていってもらいたいものです。経済優先の世知辛い世の中ではありますが、師範に許可を得て以来、当教室においては個人的に無償指導を続けさせていただいております。

(令和6年4月)


合氣道の技は呼吸を合わせると美しい演武となり、呼吸を合わせないと攻撃的な破壊の技になります。練習中に呼吸が合わない、気が合わないときは無理せず中断する判断も大切です。今日は何か変だと感じたときは、練習を中断する勇気も大切だと思います。事件事故が起こる原因のひとつには呼吸が合わない、息が合わない事で生じる事があります。
人間は様々なプレッシャーの中で仕事や生活をしている訳ですが、耐えたり、跳ね除けるのも結構ですが、時には受け流すという事も大切です。周囲に惑わされず、自分で心から正しいと思える判断も大切にしたいものです。

(令和6年1月)


教室で教えている技は基本的には子どもから若者、お年寄り、誰でも楽しくできる内容です。拘束力もなく、破壊力もなく、激しい技はほぼ行いません。優しい(時期の?)師範から習った技が元になっているので 安全で怪我もしません。「合気道の稽古で怪我をさせるなんてもってのほかだ!」という厳しい指導でした。 技として効く効かない、見た目が良い悪い、という判断基準に人それぞれ違いがあります。パフォーマンスとして見せるとか、人を痛めつけることを楽しいと感じる方は合わないと思います。
心も体にも愉快な稽古を目指しております。運営はNPOにお世話になっており、無償で指導いたしております。お気軽にお尋ねください。

(令和5年12月)


追伸、 動画において危ない技は少なく分かりにくくしております。真似て頂いても結構と思いますが、道場以外での自主練習では周りにお気を付けください。


四ヶ条にはこんな思い出があります。高齢の師範から教わった時に”力”を全く感じませんでした。「こうやるんだよ」と、手を取りとても優しく教えていただきました。「これは女子高生でも強くなるんだよ」など話されていました。当時何もわからない私は恐ろしい程の痛みなのかと恐る恐るでしたが、握って頂いても痛みを感じません。「もうお年で力が入らないのかな?」などとしばらく思ってしまい、また何度も聞くのは失礼なのかと思っておりましたので、四ヶ条について直接お聞きしたのは1回きりだったかもしれません。
あれから30年以上経った現在は理解がすっかり変わりました。「そもそも力が入らなかったのではなく、要らなかったのだ!」と。当時に何度も繰り返しご指導を頂いても、きっと理解できなかっただろうと思います。自分で経験して身に付けたものが実力で自身に見合った技になります。だからこそ、日々精進して留まることなく変化し続けることが大切なのだと改めて気付かせて頂きました。開祖と大師範に感謝いたします。

(令和5年11月)

四ヶ条にはこんな思い出があります。高齢の師範から教わった時に”力”を全く感じませんでした。「こうやるんだよ」と、手を取りとても優しく教えていただきました。「これは女子高生でも強くなるんだよ」など話されていました。当時何もわからない私は恐ろしい程の痛みなのかと恐る恐るでしたが、握って頂いても痛みを感じません。「もうお年で力が入らないのかな?」などとしばらく思ってしまい、また何度も聞くのは失礼なのかと思っておりましたので、四ヶ条について直接お聞きしたのは1回きりだったかもしれません。
あれから30年以上経った現在は理解がすっかり変わりました。「そもそも力が入らなかったのではなく、要らなかったのだ!」と。当時に何度も繰り返しご指導を頂いても、きっと理解できなかっただろうと思います。自分で経験して身に付けたものが実力で自身に見合った技になります。だからこそ、日々精進して留まることなく変化し続けることが大切なのだと改めて気付かせて頂きました。開祖と大師範に感謝いたします。

(令和5年11月)

合気道を修行していて接触点を通して大きな相手を動かす事はある程度はできます。一時期、接触点に入るのが速いか遅いか考えてばかりいました。 人は、”見たもの”、”聞いたもの”、”考えたこと”に囚われてしまいがちですが、”感じること”も大切です。体を通して修行するのが合気道です。私たちが習ったことは少なく、道は深く難しいかもしれませんが、開祖や大師範が合氣道として導いて下さっているのです。「武産合氣」「生成発展するのが合氣道である」と遺されております。立ち止まらずに止まらずに修行して道を進んでいく事が大切なことだと思います。

(令和5年10月)

昨今、メディアによる露出が増えたことで、基本技にも指導師範によりハッキリと違いがあることが分かりました。特に二ヶ条と三ヶ条の最後の極め方が異なっている様です。また他の高弟からも伝わっているようで、同じ型を見ることが出来ました。技の研究材料としては興味深いものがあります。
私の師が晩年に伝えられたことは「写真でも動画でも伝わらない」という事です。「手を取って伝えるのが合気道である。」門人に限らず分け隔てなく多くの人に手を取っていただき直接感じてもらう活動をされておりました。型に囚われていると大切な事を見落とすこともあります。道から反れる事の無い様に精進して参りたいものです。

(令和3年4月)

合気道に於いては、黒帯を付けたら上達するとか、極意の巻物を手に入れたら技を覚えるという事はありません。数十年も稽古したから達人になるとも限りません。家系でのみ技を習得するものでもありません。また習得は難しいと思い込んでいる人は、いつまで経っても心を悩ませるばかりで自信が持てません。
心から愉しみながら稽古する事を合気道では伝えております。絶対的自己完成の道です。他人との比較など無用です。与えられた体や能力を武道を通して磨き、世のために自分自身を活かすことが合気の道です。

(令和3年3月)

神業(かみわざ)という言葉があります。神様しかできない業の事を指します。合気道開祖は「この武道は神サンから頂いた武道だから大切にしないといかん」と仰られております。ですから合気道のすべてが神業であります。一部の達人と呼ばれる人だけが使うものではありません。世界中の誰もが素晴らしい武道を習得できる時代。合気道を修練することによって争いの無い平和な世界へと導かれているのであります。

(令和2年1月)